こんにちは。
昨日、ペットショップに行ったら赤ちゃんの柴犬を触らせてもらえました。
前にゴールデンレトリバーの赤ちゃんを触らせてもらった時は、フワッとトロッとした柔らかい触感でしたが、柴犬の赤ちゃんはわりとかっちりしていてゴールデンの方が大きくなるのに不思議だなぁと思いました。
さて、本日は恩田陸著『灰の劇場』を読み終えましたので、あらすじや感想など書いていきたいと思います。
灰の劇場 あらすじ
■あらすじ
大学の同級生の二人の女性は一緒に住み、そして、一緒に飛び降りた――。
いま、「三面記事」から「物語」がはじまる。
きっかけは「私」が小説家としてデビューした頃に遡る。それは、ごくごく短い記事だった。
一緒に暮らしていた女性二人が橋から飛び降りて、自殺をしたというものである。
様々な「なぜ」が「私」の脳裏を駆け巡る。しかし当時、「私」は記事を切り取っておかなかった。そしてその記事は、「私」の中でずっと「棘」として刺さったままとなっていた。
ある日「私」は、担当編集者から一枚のプリントを渡される。「見つかりました」――彼が差し出してきたのは、一九九四年九月二十五日(朝刊)の新聞記事のコピー。ずっと記憶の中にだけあった記事……記号の二人。
次第に「私の日常」は、二人の女性の「人生」に侵食されていく。
新たなる恩田陸ワールド、開幕!
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029429/
この小説は、主人公である「わたし」と恩田陸さんが重ねられているようです。
実際に25年前に掲載された新聞記事が忘れられなかった恩田さんがその事件を基に物語を作られたそうです。
小説の中でも、虚実が入り混じった構成でしたが、ここも現実とリンクしているんですね。
恩田さんの作品といえば、ミステリーだったら『麦の海に沈む果実』や『六番目の小夜子』、青春系だったら『蜜蜂と遠雷』や『夜のピクニック』など色々と好きな作品が多いのですが、今回の作品はそのどれとも違う不思議な本でした。
灰の劇場 ポイント
物語の起承転結をまとめて書こうと思ったのですが、時間軸が左右するので、ポイントのみを整理していきたいと思います。
ここからはネタバレを含みますので、見たくない方はYouTubeで飴作りの動画でもみて下さい。
■3つの軸
この小説は3つの軸が入れ替わり、物語が進んでいきます。
1 :「TとM」という二人の女性の話
0 :小説家の「わたし」が「TとM」の物語を執筆しようとしている話
(1):「わたし」が書いた「TとM」の物語が舞台で上演される話
この規則性に初めは気づきにくいので、ちょっと読み辛かったです。
1の「TとM」という二人の女性の話については、おそらく「わたし」が書いた小説だと考えられます。
ちなみに、恩田さんのインタビューではこのように語られていました。
「物語が生み出される瞬間は『0』から『1』になると、よくたとえられますよね。でも、小説を原作にした演劇や映画は『1』が基ではあるけれど、同じものではない。また、他人のフィルターを通したからこそ別のメディア作品になるので、『(1)』のカッコにはフィルターの意味も込めています。最初は色んなバージョンの、二人が心中した理由や状況を描いた小説にしようと考えていたんです。ただ、実際に書き始めると、“事実に基づいた創作とはなにか”に興味が移っていきました。結果、フィクションが作られる過程をドキュメント風に描く小説になったんです」
https://books.bunshun.jp/articles/-/6109
■「わたし」と「TとM」
まず、「わたし」という登場人物について。
0の軸では、女性2人が心中したという昔の新聞記事を基に小説を執筆する小説家であり、(1)の軸では舞台化される小説の原作者の立場になっています。
なぜ、二人が死に向かったのか、どういう関係性を築いていたかなど、確かな情報が何もないところから小説を執筆しようとしています。
こちらは先ほども述べたように恩田さん自身がモデルになっているキャラクターのようです。
次に「T」について。
いわゆる女性らしい女性として描かれていました。
若い頃に結婚しますが、その後離婚、翻訳家として身を立てながら「M」と同居し、その後自殺。
そして、「M」について。
80年〜90年代には珍しかったキャリアウーマンとして描かれています。
生涯未婚で仕事に邁進し、「T」と同居し、その後自殺。
■虚構と現実の間
「わたし」は二人の死の原因や抱えていた事情などあれこれと考えます。
同性愛者だったのか、経済的に困窮していたのかなどと考えるのですが、確かなことは何もなく想像でしかありません。
そこをどう描いていくのかということに思索を巡らすのですが、モデルとしての二人はいても実体としての二人はいないので結局よく分からないのです。
次に、「わたし」は舞台が作られる過程で、様々な幻想を見ます。
例えば、「TとM」が「わたし」の前に現れて、自分たちの何を知っているのだと訴えたり、二人の自殺現場に遭遇してしまったりと明らかに幻なのですが、(1)の軸でサーッといつの間にか現れるので、虚実の境目が曖昧で読んでいて不思議な感覚に陥ります。
本来、実体がないはずの「TとM」が舞台という場でビジュアル化されることに混乱を覚えているとも取れます。
そして、その過程で、「わたし」は「TとM」が特別な何かを抱えていたわけでも、特別な人間だったわけでもなく、普通の人間がふとした瞬間に明確な理由もなく姿を消したのではないかと考えます。
そちらもまた逆説的に、「TとM」の死は、小説になるほど劇的なものだと考えていたのに、案外何事もない日常の一コマだったのかもしれないという虚実の交錯を生み出します。
うーん。難しい!
灰の劇場 感想
■時代背景と心理
はじめ、01(1)が何を示しているのかよく分からないまま読み進めてしまったので、読みづらく分かりづらかったです。
あまり情報がないまま1の軸を読んでいると感覚が古いなぁという印象を受けました。
例えば、お嫁さんになって勝ち組でしょ?という感覚は今の人にはあまりないし、女性が働くのも当たり前の世の中になっています。
しかし、それが1980年代の話だと気づけば、まぁそうだっただろうなと思うし、彼女たちの生きづらさを把握するのに役立ちました。
44歳という年齢も、今の女性だとまだまだ働き盛りで若い印象を持ちますが、女性が20代前半で結婚する時代においては、ちょっと老いた印象を持つのも無理はないだろうと思いました。
そういった意味で、1軸の時代背景や心理描写はとても優れていたなぁという印象を受けました。
■全てが白昼夢のよう
先ほども書きましたが、「わたし」が舞台について考えていたかと思えば、いつの間にか実体のない「TとM」の幻想が始まるので、どこかフワッとした白昼夢のような作品でした。
それが心地よくもあり悪くもあり、早くこの気持ち悪さが終わらないかなといつの間にか「わたし」の気持ちに入っていて不思議でした。
あと、多分人が自ら死に向かう理由なんて本人にも実は分からないのではないか、という下りは本人もある意味夢の中のような感覚で、この辺も関連があるのかなと思いました。
また、結局のところ二人の死の原因が分からないのにも関わらず、思索を巡らせ、あれこれと想像しては”違う”となるところがすごく傲慢で、でも人間って人ごとだとドラマチックな方を求めてしまいがちだから分かるなぁと思いました。
現実に、有名な事件の被害者について今でもネット上では都市伝説のように語っていたりしますよね。
そうやって事実やら虚実やらが本人のいないところで入り混ざっていくことの理不尽さをこの小説を読んでいてとても考えさせられました。
■正直難しかった!
正直よく分からないところが多く、読んでいて難しい!と思ってしまいました。
今までの作品とは違う、意欲作であることは分かるのですが、私には難しすぎました!
面白いかといえば、それもよく分からず。
読後感もスッキリしたものではなかったです。
でも、自分がどこか浮遊しているような不思議な作品だったので、満足です。
お付き合いありがとうございました。
では。
おすすめ記事↓