どうもこんにちは。あすかるです。
確か中学生〜高校生の頃、ヤプログやJUGEMなんかでブログやってたな〜と思い出し、久々にブログを初めてみました。
そんな10代を超え、20代の日々を振り返ってみると、辛いことよりも楽しいことの方が多い10年間でした。
アイドルのコンサートを観に全国各地へ遠征したり、本来接触イベントを好まない私がアイドルとハイタッチして尻子玉抜かれたり、長澤まさみさんを初めて生で拝見してあまりの美しさに感極まったり、友人と毎年好きな食べ物ランキングを発表しあったり、小説を書いてみたり(未完)、仕事に精を出したり出さなかったり、ま〜あ楽しいことがたくさんありました。
でも、20代一番の思い出は何かと考えてみたら、圧倒的に辛かった記憶が蘇ってくるんですよね。
せっかくなので、本日は私の20代の思い出 第一位、臍が爆発した話をしたいと思います。
筋肉痛のような痛みが腹部に発生
2018年2月中旬ー
筋肉痛か?気のせいかもしれない。
ある日、気づくと少々お腹が痛い気がしました。当時の私はたまーに筋トレをしていたため、最初は筋肉痛だと思い、大して気にもとめませんでした。
この筋肉痛、じわりと痛い程度で生活には全く支障がなかったのです。
しかし、懸念すべき点が1点。それは、痛みが長引き過ぎていること!
普通、筋肉痛といえば長くても3日以内に治りますが、この時点で、気になり始めてから約10日が経っていました。
なーんか痛いな〜というぼんやりした痛みだったので、正直病院に行くまでもないと思っていましたが、念のため職場から一番近いA内科を受診しました。
院内に入ると2月だというのに、患者は私以外一人もおらず、『大丈夫か!?』と思いました。
その後、診察室に通され、先生を待ちました。
奥から白衣ではなく、茶色いセーターを着たおじいさんがやって来て私の前に座り診察を始めました。
『大丈夫じゃない!』と直感的に思いました。
医師が白衣を着ていなければならないという考えは固定概念ですね。改めます。
話は逸れますが、職場の人がインフルエンザワクチン接種のためこちらの内科へ行ったところ、黄色いジャージのおじいさんに注射をしてもらうことになり『大丈夫じゃない!』となったそうです。なるよね。
本題へ戻ります。そのセーター姿の医師に様々な問診をしてもらいましたが、原因は分からず、「もう少し様子を見てみたら?」と言われ様子を見ることにしました。
ちなみにこの時ついた病名は【花粉症】でした。なんで?(『一応カルテに病名書いとかなあかんから、花粉症て書いとくわ!』とのことでした。ほんとになんで??)
2軒目別の内科を受診
内科での受診の結果、無事【花粉症】との診断がおりたー
さて、A内科を受診したのが月曜日、それ以降も腹痛は治らず、様子をみたまま金曜日になってしまいました。
心なしか痛みが増してくる中、ウエストも太くなってきており、もしかしたら腫れているのでは?とどんどん不安が募っていました。
自分が思っているより腹部に脂肪がついているだけかもしれないという考えも捨てきれませんでしたが、セカンドオピニオンという横文字が何度も頭をよぎった結果、自宅近くのB内科を受診することにしました。
先生はちゃんと白衣を着ているし、看護師さんもいる!これはいけそうだ!
これまでの経緯と特徴的な筋肉痛のような痛みを説明し、問診と触診をしてもらいました。
気になる診断結果は・・・【胃腸炎】
うーん、絶対違う!!!!!
その前々日に焼肉モリモリ食べていたにも関わらず、医者に「これはね、胃腸炎だよ。」と宣告されたため、「エッ」という心の声をそのまま喉から出力してしまいました。
「ストレスとかでなるからね。」と言われましたが、当時の私は、社会人にはあるまじきノーストレス状態だったのです。毎日ぼんやり生きているだけだったので・・・。なんかすみません。
なぜこの時、胃腸炎という診断が下ったかというと、過去2回この内科を受診したことがあるのですが、その2回とも胃の不調で診てもらったからだと予想しております。
自己診断の結果、3軒目泌尿器科へ
胃腸炎と診断、モリモリ夕食を食べるー
家に帰ってからも、『胃腸炎はない!』と思っており、痛みを感じる部分を触ったりしていました。
そして、ついに気付きました。
おへそだ!!!!!
痛みと腫れが臍を中心に広がっていることが分かったのです。
早速、『おへそ、痛み』などとググってみると【臍炎】という病気がヒットしました。
我が20代のスッキリしたランキングでもかなり上位にランクインする瞬間でした。
臍炎とは、読んで字の通り、お臍の炎症だそうです。
思い返してみれば、以前、お風呂で入念に臍を洗った日があり、その時に菌が入ってしまったのかもしれません。
『おへそ、何科』などと検索した結果、臍の病気は、皮膚科か泌尿器科へと書いてあり、この場合、どちらが適しているのか判断しかねたため、皮膚科と泌尿器科が併設されている病院に行くことにしました。ばっちこい状態です。
ところで、皮膚科と泌尿器科って併設されているところが多いように思うのですが、なんでですか?
翌日、土曜日、皮膚科と泌尿器科が併設されている病院へ行くと、受付でまず「どちらの科を受診されますか」と聞かれました。
うーん、分からない!
正直に分かりませんと伝え、症状を申告したところとりあえず診てもらえることになりました。
そして、診察室に入ると、早速、問診をしてもらい、エコーでお腹をみてもらいました。
ちなみに、この時エコーの機械でゴリゴリされた衝撃で痛みは一気に加速します。
ついに病名が判明
ファースト、セカンド、サードオピニオン…
診察の結果、【尿膜管遺残】と診断されました。
臍炎じゃないし!!
【尿膜管遺残】・・・簡単に説明すると、胎児の時に必要である尿膜管という管は、出生後、成長と共に退化して閉じるのですが、まれに成長後も残っている人がいて、その状態を尿膜管遺残というそうです。
私の場合、まさに尿膜管遺残の状態であり、なんらかの原因で臍から細菌が入り、その奥にある尿膜管の中に膿が溜まっている【尿膜管膿瘍】という症状が現れていました。
ここでいう、何らかの原因とは臍を入念に洗ったことですね。うける。
先生の説明によると、しばらく抗生剤を飲んでいればそのうち炎症は治っていくけれど、根本的に尿膜管は残ったままなので切除する手術は後々受けた方がいいとのことでした。
これまで、比較的体力はないものの、大きな病気には罹ったことがなかった私は本気でうろたえました。
「うちの患者さんでね、同じ病気で手術した人がいるんだけどね、おへそなくなってたよ。」
おへそがなくなるシチュエーションって、雷さまにとられる時くらいじゃないんですか?
「まぁ、抗生物質と紹介状準備しとくから総合病院に行ってね。」
実は、【臍炎】を調べた時に、同じページにもっとヤバイパターンとして【尿膜管遺残症】も載ってたけど、自分には関係ないと思っちゃって読んでなかったんですよね。
大事になってしまいました!
総合病院受診、入院
痛みが増す中使いっ走りをするー
さて、翌日、日曜日。昨日のエコーの影響で、痛みは一段と増していました。もう筋肉痛とは呼べないような、刺す痛みが臍を中心として広がっていて、普通に座るのも痛いほどでした。
しかし、たまたま、その日は家族が集まって食事をする日だったので、朝から痛みと戦いながら、買い出しをしたりと動き回っていました。
夜、家族と食事をする際に、当時妊娠中だった姉と同じように、お腹を締め付けないようにゆったりした服を着て、同じポーズで座り、前日エコーを撮った話などをしました。
臍を入念に洗ってしまったことにより発症した珍しい病気を家族に説明する中、”普通”の人はならない病気なのか?という質問に対して、”普通”の意味を取り違え、「羽生結弦くんもなってたよ!」とあたかも自分が羽生結弦さんに並ぶような”特別”な人間であるかのような受け答えをしてしまったのを覚えています。
そして、その翌日、月曜日。
ついに、何をしていても耐えがたい痛みが持続する状態にまで悪化しました。
この日、痛みがどうしようもなくなってしまったため、紹介された総合病院を受診し、CTやらMRIやら色々検査をしてもらいました。
「今日から入院しましょうか」
えーー!
先生の説明によると、あまりにも炎症しすぎていて抗生剤を飲んでいても多分治らないので、もっと多量の抗生剤を摂取するために入院して点滴をしなければならないとのことでした。
しかも、例の尿膜管を切ってもらう手術は、今の炎症が治ってからでないとできないそうです。
その日は、仕事を休んでいましたが、月末が迫っていたためせめて引継ぎだけでもしなくてはと思い、入院を次の日にずらしてもらって点滴だけ受けて職場へ向かいました。
何をしていても痛く、手すりを持って歩いていた程なのに、自分で車を運転し職場に向かい、ざっくりと引き継ぎを作成し、同僚に入院の旨を伝え、ついに痛すぎて泣きました。
当時、実家に住んでいたため、「もう頑張れない〜」と泣いていたら母が入院準備をしてくれました。本当にありがたかったです。
夜は、痛みで眠ることができない程、症状が悪化していました。
そして、ついにその翌日入院しました。発症から約20日程が経過していました。
もう痛みで歩くことができなかったので、人生で初めて車椅子移動をしました。病人みたいじゃんって思いました。
長くなりましたが、入院編はまた次の記事にしたいと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました!
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