こんにちは。
ヒスイ地方に出かける前に読んだ本の感想を下書きに描いていたのですが、厳しいヒスイ生活ですっかりと忘れてしまっていました。
本日は、李琴峰著『彼岸花が咲く島』の読書感想文をお送りいたします。
彼岸花が咲く島 あらすじ
記憶を失くした少女が流れ着いたのは、ノロが統治し、男女が違う言葉を学ぶ島だった――。不思議な世界、読む愉楽に満ちた中編小説。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913902
李 琴峰
り・ことみ/Li Kotomi/Li Qinfeng
日中二言語作家、日中翻訳者、通訳者。1989年台湾生まれ。
2013年来日。2017年、初めて第二言語である日本語で書いた小説 『独り舞』にて第60回群像新人文学賞優秀作を受賞。
以来、二言語作家として創作・翻訳、通訳など活動中。2019年、小説『五つ数えれば三日月が』で、第161回芥川龍之介賞、第41回野間文芸新人賞候補に。2021年、小説『ポラリスが降り注ぐ夜』で、第71回芸術選奨新人賞を受賞。小説『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補、第165回芥川龍之介賞受賞。
https://www.likotomi.com
李琴峰さんは日本語が母語ではない中、この作品で芥川賞を受賞しています。
えー!すごすぎんか!
あらすじをざっと補足すると、記憶を失くした少女がたどり着いた〈島〉では、ノロという女性指導者たちが〈島〉を統治していました。
記憶のない中で、少女は游娜(ヨナ)という少女に介抱され、宇実(ウミ)と名付けられます。
〈島〉では、宇実には馴染みのない〈ニホン語〉が話されていました。
さらに、女性だけが学ぶことを許される〈女語〉という言語が女性の中だけで受け継がれていました。
〈島〉に漂着したよそ者である宇実は〈島〉の最高指導者である大ノロに、島に居たければ〈ニホン語〉及び〈女語〉を学び、ノロになれと言われるのでした。
彼岸花が咲く島 登場人物
ここから先はネタバレが含まれますので、見たくない方は私の推し犬、カナダの柴犬ナラちゃんの動画を見てください。
ナラちゃんアスリートすぎて、胸板も足も分厚い。
■宇実(ウミ)
記憶を失くし〈島〉に漂着した少女。〈島〉で使用されている〈ニホン語〉を知らず、〈島〉に来る前に使用していたと考えられる〈ひのもと言葉〉を使う。
游娜(ヨナ)に介抱され、最高指導者である大ノロの指示でノロを目指すことになる。
■游娜(ヨナ)
宇実を最初に発見した少女。自分の家に連れ帰り介抱する。非常に明るく純粋な性格。年齢にしては植物の知識や取り扱いに長けている。拓慈(タツ)との約束のため、ノロを目指すことになる。
■拓慈(タツ)
游娜(ヨナ)と同い年の少年。本来、女性しかなれないノロに憧れておりこっそりと〈女語〉を学んでいる。なぜ、女性しかノロになれないのか、〈島〉の歴史を知ることができないのかと疑問に思っている。
■大ノロ
〈島〉の最高指導者であるかなり年配の女性。片目は濁っているが、もう片方の目は鋭く他人の考えを見抜く。宇実にノロになるよう強制する。年齢的に体力の限界が迫っている。
彼岸花が咲く島 ポイント
■〈ニホン語〉と〈女語〉そして〈ひのもとことば〉
この作品のポイントとなってくるのが、言語です。
それぞれの言語の特徴をまとめます。
〈ニホン語〉→漢字語を用いた言語。古典で習う漢文のような、日本語と中国語が混ざった言葉。漢字語の発音は中国語の発音に依っている。〈島〉の共通言語。
〈ひのもとことば〉→日本固有の大和言葉を用いた言語。大和言葉にない概念の言葉は英語で言い換えられる。宇実が育った場所で使用されていた言葉。
〈女語〉→いわゆる、私たちが話す日本語。ニホン語の漢字とひのもとことばのひらがなが両方使用される。〈島〉で学び、使用できるのは女性だけ。
■ノロと社会主義的社会
さっきから出てくるノロという存在。女語を習得し、〈島〉と〈島〉の歴史に責任を持つ指導者的な女性たちのことです。
〈島〉では16歳で成人を迎えオヤから離れて、一人暮らし(誰かと住んでもいい)を始めます。その際に、ノロたちが調整し、成人になった人たちの希望に沿った家を無償で与えます。
また、子供は社会全体の子供として育てられるため、出生後2歳までノロに育てられます。その後、子供はオヤになることを希望した人に託されます。つまり、血縁関係が全く重視されない社会であり、婚姻制度も家族制度もありません。性別も関係なく誰が誰と恋愛しても構いません。
他にも、ノロたちは〈ニライカナイ〉という〈島〉の外にある楽園から贈り物を賜ってくるのですが、それらも住民からの不満が出ないように調整しながら分配します。
ノロになるには女語の講習を受け、成人した後、ノロが行う試験に通らなくてはなりません。試験に挑めるのは、もちろん女性のみですが、女性ならば希望すれば誰でも試験を受けられるようです。
ノロになると、〈島〉の祭事を取り仕切ったり、危険な仕事をしなければならないこともあります。それが〈島〉への責任を背負うということです。
そして、もう一つ、〈島〉の成り立ちつまり歴史を知り、次世代のノロに継承していくことです。
彼岸花の咲く島 感想
■さすが二言語話者
それぞれの言葉をトリックとして、島の歴史と関係させるという発想がさすがです。
言葉って時代や使う人によって変化していくものなので、面白い着眼点だと思いました。
■ユートピアかディストピアか
まず、作者のインタビューを引用します。
━━物語の中では<島>を統治する「ノロ」になれるのは女性だけであり、現実の社会が男性優位でジェンダー不平等な状況とは、対照的とも言えます。
起点として、ユートピア的な世界を描きたいという思いがあり、その設定を作っているなかで、自分が「こうなるといいな」と思う部分をいくつか盛り込んでいます。
とはいえ、ユートピア、理想郷というものはそもそもあり得ない。本作で描いている<島>の現状も、完璧だとは思っていません。なぜなら、誰かにとってのユートピアは、他の人にとっては必ずしも理想ではない状況があるからです。理想に近づけようとした社会のなかでもほころびが出て、疎外されると感じる人間がいる。
拓慈(タツ)という登場人物の存在が証明している通り、ユートピアと思われる世界も、誰かを犠牲にし、排除することによって築かれているので、「それでいいのか」という問いかけにもなっているかなと思っています。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_612f1901e4b05f53eda0fed0
先程、子供は2歳になったらオヤ希望者に託されるということを書きましたが、それって広い理想なんだろうか?と読んでいて思いました。
確かに、今の日本は家父長制が抜け切ってないですし、育児への支援が十分とは言えず、各家庭の負担は大きいままですよね。
だからと言って、実際子供を差し出せる親ってどれほどいるのでしょうか。
しかし、その一方で、乳児遺棄、嬰児殺、児童虐待の問題も全くなくならない上、台湾のことは分からないけれど、日本では欧米ほど養子縁組の件数も多くないですよね。
そう言ったことを考えると、社会で大切に子供を育てるというのは、安心できることだとも思えます。
また、やはり現状男性が肉体的に女性よりも体力が勝る点を考えると、反旗を翻す男性たちがいなかったと考えられません。
■現代社会へのカウンター
先ほどの、ユートピアかディストピアかという点に関連するのですが、現代社会への警笛とも取れる描写が多くありました。
拓慈(タツ)の存在がその最もたる象徴かなと思います。
━━本作で描かれる<島>は架空の場所ですが、現実の社会や政治が強く反映されているように感じました。
個人と社会は密接につながっているし、政治の影響も強く受けているので、自分が感じている息苦しさや生きづらさの多くは、社会や政治から与えられています。だから、個人を描くためには社会や政治を描かないといけません。自分に影響を与えているものを見極めて、それを作品のなかで描くということを自分はやっていると思います。これまで読んだ作品の中では、例えばセクシュアル・マイノリティを描くときにコミュニティを全く描かないような作品があり、それは少し不誠実だなと思いました。
そこで、個人と、個人を支えるコミュニティ、そして個人に影響を与えている社会や政治の状況も込めて書いたのが『ポラリスが降り注ぐ夜』でした。『彼岸花が咲く島』では架空の島、架空の人、架空の時間をベースとしながら、社会や政治にもアプローチしています。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_612f1901e4b05f53eda0fed0
作者自身が個人を描くために政治や社会を強く意識したとのことですね。
ちなみになのですが、台湾にはアミ族という世界でも珍しい女系優位の民族がいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アミ族
社会体系や祭事についてこの民族を下地に発想を膨らませたのではないかなと個人的には思いました。
長々と書きましたが、面白かったです。
個人の人物像の掘り下げ方や島の歴史など、ちょっと薄いなと感じるところはありましたが、興味深く読むことが出来ました。
次は、道尾秀介著『N』を読んでいきたいと思います。
この本は、どの章から読むかで結末も変わってくるという仕掛けのある本なので楽しみなのですが、頭が付いていけるかな!?
では、また。