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尿膜管遺残症 入院手術体験記ブログ 中

こんにちは。私の臍が爆発した話を備忘録として記事にしましたが、今回はその続きを書いていきたいと思います。上ときて中、下まで続くじゃん、長いよ。

今回はちょっとグロい描写もあるかと思いますので、苦手な方はヤフーニュースでも読んでいてくださいね。

前回までのお話はこちらです。

 

 

入院、そして手術へ

 

【尿膜管遺残】からの【尿膜管膿瘍】のため入院しました。

 

実は、この3ヶ月ほど前、同じ総合病院に親知らずの抜歯のため入院しており、一応心構えというか慣れのようなものがあったため、そこだけは不幸中の幸いでした。

 

抗生剤を点滴してもらっておりましたが、症状は良くなりませんでした。

ちなみになんですが、この時4人部屋に入院しており、おばあさん、おばあさん、おばあさん、私というメンバーだったのですが、入院してすぐ、隣のカーテンが開き、主治医の医師について「あの先生はいい先生だよ!!!」とお墨付きをいただきました。

この方の言う通り、主治医の先生は本当に良い先生で、今までヤブ医者に当たって砕けてきた私はやっと安心感を得ることができました。本当によかった。

本題へ戻ります。

入院した次の日の夕方、痛みが酷すぎて何もできない中、主治医の先生から症状についての説明を受けました。

「手術した方がいいですね。」

えー!もう!?

しかし、先生の説明によるとこの手術は、例の尿膜管を切除する手術ではなく、炎症が抗生剤で治る見込みがないため、膿を出す出口を作るために臍を切るとのことでした。

この時、臍から自動的に膿が出たらよかったのですが、出てこないから手術だったんですね。

 

思い返せば、遡ること10年近く前、臍から謎の液体が出てきたことがあったのですが、その時は痛みなどもなかったため、放置していたのでした。今考えると、この時も何かしら炎症していたのでしょう。

つまり、この思い出は”臍が爆発した話”と称していますが、不発だったわけで、実際には”臍の不発弾を処理してもらった話”という方が正しいのです。爆発した方がよかったんだ・・・。

 

手術は全身麻酔、確か30分程度で終わる手術でした。

ここでも、親知らずの抜歯で全身麻酔を経験しておいてよかったと思いました。

ちなみに、親知らずの手術のときは麻酔から覚めてからずっと嘔吐してたので、多分麻酔や痛み止めに対する耐性が少ないだろうと懸念していました。

 

臍の切開手術

 

さて、手術です。当日のことはあまり覚えていないのですが、麻酔科の先生が優しくて、麻酔のかかり具合を確認しながら麻酔をかけてくれました。

全身麻酔とともに術後の痛みを和らげるための【硬膜外麻酔】もかけてもらいました。

 

硬膜外麻酔について

https://www.kanto-ctr-hsp.com/ill_story/201712_byouki.html

麻酔がかかった瞬間、一瞬でビジョンが閉じ意識がなくなっていきました。

本当にどうでもいいのですが、全身麻酔を何度か経験した結果、”死”とは”無”なんだろうなぁと考えるに至りました。魂とかない!!!!

 

それはさておき、次の瞬間目が覚めると気持ちが悪い!そして、息苦しい!

あと、頭は起きているのに、身体が動かない状態だったので、まだ目覚めていないと思われていたのでしょうが、スタッフの方が私の下半身を診て、血だ!と焦っているのが聞こえ、普通に月経だったので申し訳なく、恥ずかしかったです。

 

あと、スタッフの方達が新年度の異動について楽しそうに話してたのも聞こえました。

さて、術後の息苦しさに関しては、酸素濃度などに異常がなかったのですが、臓器が寝たままなのかな?と看護師さんが背中を叩いてくれ、お水を飲ませてくれたことで徐々に消えていきました。

 

痛みは、硬膜外麻酔のおかげであまりなかったと思いますが、はちゃめちゃにお酒を飲んだ次の日の朝のように吐き気と頭痛が酷く、何度か嘔吐しました。

正直ここらへんについては、記憶があまりなく、ただ、辛かったように思います。

 

ちなみに、この時私の臍がどうなっていたかと言うと、切開したところから膿を出すため、切開部が閉じないようにガーゼを突っ込まれている状態でした。深い切り傷の中にガーゼを入れられるところ、是非想像してみてください。

 

翌日の回診でガーゼを交換してもらいました。

先生が来る前に、看護師さんが診察の準備をしてくれたのですが、浴衣を全開されたので、患部は臍だけなのに胸まで露出しており、先生が焦って「早く上隠してあげて!」って言っていました。

私自身は、とにかくだるくておっぱいくらいどうでもよかったです。

先生が、臍に埋まっているガーゼをとり替えてくれました。

 

これが本当に痛い!!!!!!

 

膿が出切るまで、毎日この作業をしてもらわないといけません。これは、地獄の拷問メニューにあるのではないかと思うくらい痛かったです。

 

この時は、まだ血が出と膿が混ざったような感じで、量も結構多く出ていました。

さて、それ以外の時の痛みですが、痛み止めのおかげで痛みはあまりありませんでした。

しかし、痛み止めが切れると痛すぎてもう何もできない!!

その後、また痛み止めを入れてもらい、しばらくすると効いていきました。これ以降、痛み止めが減って行くことに恐怖したのでした。

 

なかなか退院できない!

 

確か入院したのが2/28、手術をしたのが3/1だったと思いますが、結果から言うと退院したのは3/15でした。

 

毎日、ガーゼを替えてもらい、抗生剤を投与してもらうものの、膿は出続けており、なかなか退院できませんでした。

入院中、同じ部屋にかなり具合の悪い方がいて、夜も機械が鳴ったり看護師さんが出入りしたりしていたので、よく眠れず、ついでになんか知らんけど、同部屋の方々の面会者が朝8時から来ていたため(面会時間は11時から)日中も眠れず普通に体調悪かったです。お年寄りは声が大きい。

でも、体調悪いのバレると退院できないから元気なふりをしていました。

 

母が身の回りのことをしてくれて、毎日見舞いにも来てくれたのですが、身体が弱ると心も弱るものですね。結構孤独を感じました。

鬱蒼とした気分で、毎日窓の外を眺めては、早く下界に出たいと願っていました。臍が悪いだけなのに重病人みたいなこと言いましたね。

私は人間なので、入院する事情も状況も理解できるのですが、入院してる動物って可哀想ですよね。訳わかんないだろうし、痛いだろうし、飼い主はいないし、知らん人に触られるし・・・。というようなことを考えて毎日過ごしていました。

さて、そんなこんなで、早く退院したいアピールをして退院出来ることになったのですが、ガーゼ交換のために1週間のうちは毎日、それ以降は2日に1回、またそれ以降は週に1回と通院を続けました。

主治医の先生が本当に良く診てくださって、休日も緊急外来の方でガーゼ交換してくれました。

 

あと、ガーゼの上に防水シートを貼ってはもらっていましたが、本格的な入浴が出来るようになったのはおそらく退院後2週間くらいだったと思います。

そして、痛みはありつつも、退院後、次の週からは仕事にも復帰しました。

腹部を圧迫しないように毎日ユニクロの緩いスウェットで職場に行っていた記憶があります。

 

余談ですが、私は入院、手術、通院の医療保険+高額療養費制度を利用したので、出費は大分抑えることができました。

高額療養費制度について

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/juuyou/kougakuiryou/index.html

基本的にはガーゼを替えるだけなので診察は1回300円以下で済みましたが、通院費は1日1000円支給され、かなり助かりました。

 

完全に膿が出なくなったのは、術後1ヶ月くらい経ってからだったと思います。

先生にも本当にしぶといね!と言われました。

 

確か、退院後3週間程経った4月の上旬に友人の結婚式があって、いつも着ていたドレスを着ようとしたら妊婦さんに見える程患部が腫れていたので、腫れ自体は結構長くあったと思います。

痛みに関しては、退院後2週間くらいは歩くのも痛いレベルで、それ以降も長い間チクチクと痛んでいました。

ちなみに、炎症が治ってからも、また大量に膿が出始めた時があり、予定外で外来を受診したこともあったのですが、『なんで来たん?』って顔されるかと思ってたのに、先生はめんどくさがらずにちゃんと診てくれました。

 

本日はここまでです。まだ続くんかい!という感じですが、この後ついに完結編、【尿膜管切除手術】編です!

よろしくお願いします。

続きはこちら

asukal

くまの○ーさんでいうところの○リストファー○ビンのポジション

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