私は宗教について知るのが好きだ。
日本人の多くは特定の宗教を熱心に信仰している人の方が少ないだろう。
お正月は神社に行くし、クリスマスにはケーキを食べ、死ぬときは寺でお経をあげてもらう。
私もそういう日本人だ。
ただ、私は中高大とキリスト教の学校に通ったことで、宗教とはなんたるかをぼんやりと理解することができたような気がする。
当時、キリスト教の学校に通っていたものの、押し付けがましい宗教教育には辟易していたので、毎日の祈りの時間や宗教の授業は嫌いだった。
そんな私が宗教というものに興味を持ったきっかけは、高校3年生の日本史の授業だった。
日本史の先生はシスターだったので、そりゃあばちばちにキリスト教を信仰していた。
あるとき、同じ授業を受けていたクラスメイトが「天地創造とアウストラロピテクスってどっちが正しいのですか?」とシスターに投げかけた。
そのクラスメイトも多分、正しい答えを知りたいわけではなく、シスターの反応を見たかったのだろうと思う。
「そんなのアウストラロピテクスに決まってるじゃない。」
予想外だった。
こんなにもしっかりと神に仕えている人がそんなふうに即答するなんて!
私以外の生徒も驚いていた。
そしてシスターは例え話をしてくれた。
「もしあなたの友人が大切な人を目の前で交通事故で亡くしたとして、その友人になんでその人は亡くなってしまったのだろうと言われたときあなたはどう答えますか?」
「出血多量でとか、脳挫傷でとか答えるの?」
「その人の運命だったんだよとかそういう風に答えるんじゃない?」
「それが信仰なんだよ。」
目から鱗だった。
それまで、ただ漠然と神様がいて信者がいてそれが宗教だと思ってきたけれど、その言葉を聞いて宗教というものが自分の中にスッと入って来たような感覚だった。
ただ、心を楽にするもの、強くするもの、そういった類のものなのだ。
宗教の捉え方は自由でいいのだ。
それでいいのだと気づいた。
その話を聞いてから、宗教に対する嫌悪感がなくなり、大学でも宗教学系のゼミに入った。
知らない宗教の本を読むのも好きだし、少数派の宗教の話を聞くのも興味がある。
私自身は何かを信仰していないけれど、信仰している人を否定する気持ちにはならない。
しかし、日本に流れる傾向として、宗教=危険というような視点が存在するのもまた事実だと思う。
今村夏子著『星の子』は、カルト宗教への信仰の善悪という次元ではなく、ただ当事者としてあるがままに宗教と生きる家族が描かれていたのが印象的だった。
カルト宗教を取り上げる作品だと、メーターを振り切ったようなエピソードが登場しがちだけれど、この作品は、突飛ではない柔らかさがあった。
思春期の少女のちょっとズレた空気感が素晴らしかった。