記録がてら、思ったことを書き殴るね!
Netflixで配信している『二十五、二十一』という韓国ドラマを見終わった。
一応あらすじを紹介すると、フェンシングに青春を賭ける高校生の主人公と、夢を失った主人公より4歳年上の青年の物語だ。
『二十五、二十一』という題名はおそらく年齢のこと。
2022年に母親の日記を見つけた主人公の娘が、日記を読みながら母の青春を回想する話である。
韓国のドラマは“ちょっと昔”を舞台にしている作品もちょくちょくあるので好きだ。
主人公のナ•ヒドがとっても快活で、時に理路整然と売られた喧嘩を買ったり、フェンシングに打ち込むために努力したりと見ていてとても気持ちが良い主人公だった。
もう1人の主人公である、ペク・イジンは、いろんなものを抱えこんでしまう無愛想な青年かと思いきや、4歳年下のヒドやその友人ときゃっきゃと遊び倒し、彼らを丸ごと愛しているからとてもカワイイ。
このドラマを見ていると、どこか胸が苦しくなったりもどかしくなったり懐かしくなったりするのだが、正直私にはそんな経験も記憶も“ない”のである。
“ない”青春の記憶に感情持っていかれるのおかしくない?と今日は一日考え込んでしまった。
いつもならば、ストーリ展開、俳優の演技、セット、小物などの出来ばかり気にしてしまうのに、今日は、何か過ぎ去った青春を回顧した気分になってしまった。
“ない”のに!
そんな記憶“ない“ぞ!
いい作品はこうやって人の心に入ってくるんですね。
なるほど。
劇中、フェンシング部がなくなるくだりで、顧問の先生が「俺のせいでフェンシング部がなくなるんじゃない。時代のせいだ。」というセリフが印象的だった。
個人単位じゃなくて、時代がそうさせたんだというのもこのドラマのテーマっぽい。
例えば、韓国のIMF危機(ちなみにこれは実際私には“ない”記憶)だったり、アメリカ同時多発テロ(こっちは“ある“記憶、当時小学校5年生だった)が出てくるので、時代を視聴者に意識させながら、主人公たちが変化していく様がわかりやすくて素晴らしかった。
現代のシーンでは、マスクを着用していたり、視覚的に分かりやすい。
この先、作られる作品でも2020年代を意識させるためならば、マスクというアイテムは必須なるんだろうな。
あ、あと、主人公のお母さんのヘアメイクで時代が変わっているのも目に見えてよかったな。
私には強烈な出会いも夢も愛も“ない“のに、美しい青春とお別れしたような気持ちになったドラマだった。
主役のキムテリさんは1990年生まれで、30歳を超えているのだけれど、高校生の溌剌さや無謀さをしっかり表現していて本当に素晴らしい俳優さんだなと思った。
キムテリさん主演の映画『リトルフォレスト春夏秋冬』もめっちゃ好き。
なんか、思った以上に上手く思いを文章に乗せられなくて残念だ。
とりあえず、絵を描きました。
あと、韓国に詳しくない方のために注釈を入れておくと、韓国って数え年で年齢を表記するので、『二十五、二十一』というドラマ名ですが、西暦から年齢換算するとマイナス1歳くらいになるって思っといてね。